アウトプット日本丸
■国際連合=政界政府ではない!■常任理事国=核保有国、という事実を踏まえて書いていきます。
Sレポート#28  VOICES INSIDE MY HEAD
*歴史的事件が偶然に起こることはない
*選挙で選ばれた政府が統治するのはまれである。
*マスメディアは操作されている。
*日本は今や亡国寸前である。

 「彼が私の脇を通り過ぎた時、頭の中で”やるんだ、やるんだ、やるんだ” と言う声が何回も何回も聞こえてきた。
 ”やるんだ、やるんだ、やるんだ” とね」
 1980年12月8日にジョン・レノンを射殺し,投獄されて数年後、BBCのドキュメンタリー番組に登場したマーク・D・チャップマンは、異様なほど落ち着き払って当時を振り返った。
 「狙いを定めたのかどうかは記憶にない。きっとそうしたんだろう。(中略) ただ、引き金をしっかりと5回引いただけだ」
 チャップマンは発砲した際の心境をこう表現した。
 「何の感情もなかった。怒っていたわけでもない・・・頭の中がすごく静かだった」
 実際、ジョン・レノンを撃った後、チャップマンはじっと立ち尽くし、ペーパーバックの本、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に目を落としていた。
 ダコタハウスのドアマンがチャップマンに向かって、「おまえ、何をしたかわかっているのか?」 と叫ぶと、「ジョン・レノンを撃っただけさ」 と実に正確に答えた。
 イギリスの弁護士兼ジャーナリストのフェントン・ブレスラーは、チャップマンの平然としすぎている異様な口調から、彼を殺人命令を実行する洗脳された殺人者と考えた。
 チャップマンを逮捕し,詳しく取り調べたアーサー・オコーナー警部補は後に、「マークが有名になるために人殺しをしたというのは、明らかに筋が通っていない。彼は最初から記者には話をしたがらなかった・・・ただ、マークが誰かに利用されていた可能性はある。 私は事件当夜、彼に会っている。
 じっくり観察した。 まるでプログラミングされているようだった」 とブレスラーに話した。
 ブレスラーは世間に広まっているチャップマンに関する間違った情報をいくつか訂正している。
* チャップマンの名前が出ると今では「気のふれたファン」 というフレーズがいつもついて回るが、チャップマンの本当の”ロック・ヒーロー”はトッド・ラングレンだった。
* チャップマンは事件後何ヵ月も経ってから、「”ライ麦畑でつかまえて” の読者を増やすために有名になろうと思ってレノンを殺した」 と申し立てたものの、狙撃事件の直前までその小説に激しく入れ込んでいる素振りは一切見せていなかった。 (「ライ麦畑でつかまえて」はチャップマンの「プログラミング」を引き起こす道具として使われたのかも知れない、とブレスラーも推測している)
* 事件後、大手マスコミは、チャップマンが次第に自分とジョン・レノンを同一視するようになったという突飛な憶測記事を掲載した。 「ニューズウィーク」によれば、チャップマンはある時点でレノンという名に「改名」までしていたという。 確かにチャップマンは最後に務めていた職場を辞める時、「ジョン・レノン」とサインをしてからその名前を横線で消した。 だが、ブレスラーは違う解釈をしている。 つまりチャップマンは「俺はジョン・レノンだ」という意味で書いたのではなく、「ジョン・レノン、おまえを殺してやる」という意味だったのではないか、と。
* チャップマンは「人間嫌い」ではなかった。 彼はごく普通の社会生活を営む人間として人生の大半を送ってきたし、子供達と触れ合うことが特に多いキャンプの指導員もしていた。 などである。
 チャップマンはYMCAの海外プログラムへの参加申し込みをする際に、あえてベイルート(レバノン)を選んだ。 研究家の故メイ・ブラッセルは、CIAがベイルートに暗殺者を訓練するキャンプを持っていると主張していた。
 ブレスラーは、チャップマンがCIAと接触したのは国際的に広がるYMCAの保護の下においてであったと主張している。
 さて、チャップマン裁判の準備が進められ、仕事熱心な公選弁護人が被告を弁護するための証拠集めに時間を費やして半年が過ぎた時、殺人犯として起訴されている当の本人が、急に有罪を認める答弁に切り替える決意をした。
 弁護士は当惑し、動揺したが、チャップマンの決意は固かった。
 彼は脳細胞に話しかけてくる「かすかな男の声」の指令に基づいて行動しているそうだ。
 米国防総省(ペンタゴン)幹部のJ・F・シャピッツは1974年にこう述べている。 「催眠術師の語る言葉を、変調された電磁エネルギーによって直接人間の頭脳の潜在意識の部分に伝達出来るようになるだろう。 即ち、メッセージの送受信に専門的な装置を一切使うことなく、(中略) 直接人間の脳で意識的な情報入力を制御する機会が持てるのだ」
 また、1976年のDIA(米国防情報局)レポートによれば、「パルス状のマイクロ波は、頭蓋の中から発せられると思われる音声、そして可能性としては、言語さえも伝達出来る」 という。
 チャップマンはそれを、「神の声」 と受け止めたのだろうか?・・・

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Sレポート#27  RFK暗殺
*歴史的事件が偶然に起こることはない
*選挙で選ばれた政府が統治するのはまれである。
*マスメディアは操作されている。
*日本は今や亡国寸前である。

 1968年6月5日夜、若き上院議員ロバート・F・ケネディは、ロサンゼルスにあるアンバサダー・ホテルでカリフォルニア民主党の大統領予備選での勝利を祝っていた。
 他の候補者を引き離し、その夏シカゴで開かれる民主党大会で大統領候補者に指名されるのは確実と思われていた。
 スピーチを終えた後、RFKは演壇を離れ、人込みで溢れていた配膳室を通り抜けようとしていた時、浅黒い肌の若者サーハン・ビシャラ・サーハンが目の前に飛び出し、22口径のピストルを連射。
 倒れたRFKの後頭部から血が流れ出した。
 翌日、RFKは息を引き取った。
 サーハンは後に事件当時、一時的記憶喪失だったことが確認されている。 サーハンはこの夜、自分が何をしたのか、遂に思い出すことができなかった。
 単独犯とするにはあまりにも疑問の多い事件にもかかわらず、あっさり有罪となり、終身刑の身となった。
 警察当局の見解の重要な矛盾点を挙げて見ると、
* RFKの致命傷となった傷は、右耳の後ろの傷である。火薬による火傷は、10センチと離れてない至近距離から銃弾を受けたことを示していた。 サーハンはずっと前方にいた。 しかも至近距離とは言えない位置である。この事実一つ取っても、物理的にみてサーハンが単独犯だとは考えられない。 致命傷の位置を確認したトーマス・ノグチは当局から解雇され、後に訴訟を起こす羽目になった。
* 配膳室で発見された弾痕と銃弾から判断すると、少なくとも13発の弾が発射されたことになる。 サーハンのピストルは8発入りだった。 ロサンゼルス市警察(LAPD)は余分な弾痕のいくつかについて、「食料ワゴンがぶつかって出来たへこみ」だと説明。 さらに捜査員が調査、撮影した余分な弾痕の写真を隠蔽した。
* サンドラ・セラーノというケネディ支援の若い運動員と他数名が、水玉模様のワンピースを着た女が現場から逃げて行くのを目撃している。 さらに女がはしゃいだ声で「あたし達が撃ったのよ」 と言ったのを聞いている。 セラーノは女に誰を撃ったのか尋ねると「ケネディ上院議員よ」 と答えながら走り去った。 またセラーノともう一人の目撃者トーマス・ディペローは、狙撃事件の前にサーハンが水玉模様の服を着た女と一緒にいるのを目撃したと供述した。(二人はLAPDの脅迫を織り交ぜた容赦ない圧力を受け、後に供述を撤回させられた)
 サーハンが発砲した時、RFKのすぐ右後ろに立っていた警備員セーン・ユージン・シーサーはその時、銃を抜いたことを認めたが、発砲は「公式には」認めていない。 だが、テッド・シャラックというジャーナリストの著したドキュメンタリー「第2の銃」 では、シーサー本人が「俺は確かに発砲した・・(後略)」と話すのを聞いたという友人の談話が紹介されている。
 シーサーは混乱の最中にクリップ式ネクタイを失くしていた。 床に倒れた瀕死のRFKの有名な写真には、何かをつかもうとしているケネディの右手からすぐの場所に、クリップ式ネクタイが落ちているのが写っている。
 また、アリ・アーマンドというパキスタン人がケネディのすぐ背後に立っているのを目撃されている。CIAから仕事を請け負っていたことがあるロバート・モローは、ニコン製のカメラのように装った銃でアーマンドが頭を撃ったかもしれないと考えている。
 CIA在勤中、モローはそのような武器を見た事があった。
 さて、肝心のサーハンだが、彼はケネディを撃ったことをまるで思い出せなかった。 自白したのは「証拠という証拠が」自分が暗殺したと言う事を証明していたからだ、と述べた。 彼のアパートで奇妙なノートが発見されているが、書いたのは自分に違いないと同意しているものの、そのノートをつけたという記憶が彼にはない。 「RFKは死ななければならない」、「RFKは暗殺されなければならない」、「依頼への支払いを・・・」 といった殴り書きが記されてあった。
 サーハンを鑑定したバーナード・ダイアモンド医師は、サーハンに催眠をかけて尋問したところ、「実行せよ、実行せよ、実行せよ」 と書き記した。 ダイアモンド医師が何を実行するのか、と尋ねると 「マインド・コントロール、マインド・コントロール、マインド・コントロール」 と殴り書きをした。
 サーハンの心理ストレス評価を測定した元陸軍情報部員はこう語っている。 「PSEチャートのあらゆる要素が、暗殺に他の者が関与していること、そしてサーハンが催眠によってRFKを暗殺するようにプログラムされたことを示している」・・・
参考文献 Extra-Conspiracy〜超陰謀 ジョナサン・バンキン 徳間書店



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Sレポート#26  MKウルトラ
*歴史的事件が偶然に起こることはない
*選挙で選ばれた政府が統治するのはまれである。
*マスメディアは操作されている。
*日本は今や亡国寸前である。

 1963年、CIAの作戦副部長リチャード・ヘルムズ(後に長官も務める)は、CIA副長官あて覚書きの中にこう書いた。
 「我々は10年以上、人間の行動を操作し続ける任務についてきました。・・・人間の行動を左右する力を今後も維持し続けるとすれば、何も知らない人間を実験台にせざるを得ません」
 MKウルトラによる残虐行為のいくつかを取り上げてみると、ボストンのマサチューセッツ総合病院の医師達は少なくとも11名の終末期の癌患者にウラン235を注射した。
 1940年代には妊婦に放射性物質の混合物が投与され、胎児への影響が研究された。
 マサチューセッツ州ウォルサムのフェルナンド校では、17名の知的障害の生徒に放射能汚染された食事が与えられた。
 1962年には、アイビーリーグの研究者チームが精神遅滞の子供(最年少は1才程度の知能しかない)760名に対し、放射性ヨー化物を投与した。
 1944年から61年にかけて、ニューメキシコ州の全地域が野外実験によって金属元素のランタンを浴びた。
 1963年から76年にかけて、アメリカ北西部の刑務所で67名の囚人の睾丸にイオン化した放射能が照射された。
 アメリカ政府は、少なくとも33ヵ所の退役軍人病院で放射能実験を行っていた。
 1970年、心理学者のジェームス・U・マコーネルは「サイコロジー・トゥデイ」誌の中で、こう書いた。
 「私達は、薬物、催眠、褒美と懲罰の機敏な操作を知覚の欠損に組み合わせて使い、個人の行動をほぼ完全に制御できる時代に入っている。
 人間の行動と性格に劇的な変化を起こすことの出来る、極めて迅速かつ有効な積極的洗脳法を使うべきである。・・・私達は、社会から求められることを進んでしたくなるような訓練を、生まれた時から受けられる社会を構築すべきである。
 そのための技術はすでに揃っているのである。・・・例えば、犯罪者はそのまま更正施設に送られ,積極的洗脳を受ける・・・その人間の人格全てを作り変えなくてはならないときもあるだろう。・・・自分の性格を所有するものは一人もいなくなる・・・」
 また、行動主義心理学の学派の創始者であるジョン・B・ワトソンは、「私に一人の赤ん坊を与えよ。
 そうすれば、この子を木に登らせたり、両手を使って石や木の建物を作らせてみせよう。
 盗人、ガンマン、麻薬中毒者にもしてみせよう。
 いかなる方向づけをするにしても可能性はほぼ無限にある。(中略)
 人間は作られるのであって、生まれるのではない」
 言うまでもなく、これはSF小説の中の話ではなく、我々が現実に暮らしている世界の話である。
 初期の脳内移植実験で有名なホセ・デルガド博士は、「人間は頭脳の直接の操作に対して全く無防備だ。
 生物学的反応の最も奥深いところのメカニズムを奪われるからだ。 私がやった実験では、適切な強度の電気的刺激は、常に人間の自由意志に打ち勝っていた」 という。
 彼が行った実験の一つには、成熟した雄牛にワイヤーを取り付けて、自ら開発したスティモシーバーという装置の準備が出来ると、デルガド博士は雄牛とともに設置されたリングに入った。
 雄牛は博士に向かって突進した。そして博士の目の前で突然立ち止まった。
 博士が手の中の小さな黒い箱のボタンを押しただけで、雄牛の動きが止められたのだ。
 デルガド博士は1966年に、「私のこの実験は、動作、感情、行動は電気的な力で制御可能であり、人間はロボットのようにボタン一つでコントロール出来るという不快な結論を裏付けるものだ」と述べている。
 MKウルトラの悪名が高まったのは、LSDをアメリカに持ち込み、それによって1960年代のカウンターカルチャーを生んだためだった。が、それよりも狙いとして悪質だったのは、完全な被洗脳エージェントを作り出すことだった。
 問い返したりすることなく、あらゆる命令を受け入れる”完全に信頼のおけるエージェント”、それは例えば、命令一つで殺人を犯す人間ロボット、あるいは、政財界のVIPのための、マインドコントロールされたセックス奴隷などである・・・

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Sレポート#25  未来の衝撃
*歴史的事件が偶然に起こることはない
*選挙で選ばれた政府が統治するのはまれである。
*マスメディアは操作されている。
*日本は今や亡国寸前である。

 ストレス環境下の社会を見ると、一般階層のストレス反応が3段階に区別できるという。第1段階は攻撃を加えられた大衆は、スローガンを作って表面的には身を守る。
 しかしこれは危機の源を突き止めた事にはならず、状況が理解できない。
 従って有効的な防衛策を確立できず危機は持続する。
 第2段階の反応は解離とも言えるもので、大衆は分裂を引き起こす。
 これは危機が続き、社会秩序が崩壊した時に起こる。
 第3段階の反応は、「自分だけの現実」世界に引きこもって実際の危機から目をそらす、というものだ。
 こうした反応には、強度の達観的な理想主義と現実に適応できない病的症状とが見られる。
 人間行動学を専門分野とし、洗脳研究で最先端を行くタヴィストック研究所では、これを「深層域侵襲」と呼ぶ。
 1950年代にニューヨーク、ロサンゼルス、フィラデルフィア、シカゴで勃発した「不可解なギャング抗争」は、タヴィストックがアメリカに作ったSRC(スタンフォード研究所)が計画し,わざと社会にショックを与えて不安の波を起こそうと入念に仕組んだもの、とジョン・コールマン博士は述べている。
 1958年にはおよそ200を超えるギャンググループがいた。
 10年近くに渡って世間をにぎわし続けた後、1966年に忽然と彼らは姿を消した。
 SRCがターゲットとしたグループ(ギャングが出没した地域の市民)は、スローガンを唱えて防衛し始めた。
 これこそタヴィストックが第1段階と呼んだ反応であり、ターゲットとなったグループは危機の源を突き止められなかった。
 ギャングの抗争による危機の第2段階は「分裂」だった。
 ギャングのいない地域に住んでいる人は、「ギャングが近所にいなくてよかった」 と胸をなでおろした。
 これは気付いているいないに関わらず、危機の持続によって、社会秩序が崩壊し始めたという事実を示唆している。
 ギャングの抗争に影響されなかった人々は、危機の源が突き止められないために自己防衛を図る解離性障害、いわゆる「現実不適応症状」まで起こしたのだ。
 このギャング抗争の目的は、社会は総じて安全ではないとのメッセージを一般家庭に送り、不安を生じさせることだ。
 第2に、組織された社会はこうした暴力に対し全く無力だとわからせること。(警察などの治安当局は、この時なぜか効果的に対応しなかった)
 第3に、社会秩序が崩壊しつつあることを悟らせることである。
 ギャング間抗争が姿を消した60年代後半、アメリカ社会にドラッグ使用が増加するが、これはタヴィストックのいう「未来の衝撃」として知られる。
 「未来の衝撃」とは情報を吸収しきれないほど、一度に押し寄せる一連の事件によるショックをいう。
 精神が処理できる変化の量や性質には明らかに限度がある。
 ショックが続いた後では、ターゲットとされたグループはこれ以上選択ができなくなり、代わって無関心がはびこる。
 こうしたグループは管理しやすく、反抗することなく従順に命令に従う。
 当然ながらこうしたターゲット・グループは多くの選択肢からの逃避手段として、進んでドラッグに溺れるようになる。
 こうしてドラッグはいわゆるビート・ジェネレーション、ヒッピーの間に急速に広まっていった。
 「Turn on,tune in,&drop out=LSDに同調して、社会から脱出(ドロップアウト)せよ」 に象徴されるカウンターカルチャー(反体制文化)の背後にはタヴィストックと、そしてCIAのプロジェクトがあった。
 そう、あの悪名高きマインド・コントロール計画、「MKウルトラ」である・・・
 MKウルトラでは少なくとも185人の科学者と80のアメリカ諸機関が関係しており、その中には刑務所、製薬会社、病院、さらには44の医科大学が含まれていたという。
 この計画には、化学的手段による人間行動と知覚の改変、「自白剤」の製造、感覚の剥奪、宗教的カルト、マイクロ波、心理的条件づけ、精神外科、薬物実験、脳内移植、放射線、電気ショック、拷問、継続的なノイズ(ホワイト・ノイズ)、生物兵器、精神探索(サイキック・リサーチ)、等の分野で数々の残虐行為が行われた・・・

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Sレポート#24  タヴィストック人間関係研究所
*歴史的事件が偶然に起こることはない
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*日本は今や亡国寸前である。

 イギリス陸軍心理作戦局は、第1次世界大戦中に大規模な政治宣伝を展開し、イギリス人にドイツを本当に敵だと信じ込ませ、さらにはそのプログラムを拡張して、ルシタニア号の沈没をきっかけにアメリカを参戦させた。
 しかしそれは、部分的な成功にすぎない、と結論づけられた。
 何か陰謀がおこなわれている、と感じるアメリカ人があまりにも多かったためだ。  そこで1921年イギリス王室により、「タヴィストック人間関係研究所」 という洗脳センターがロンドンに設立された。
 目的はマインドコントロールと、長時間心理的ストレスに曝されたときに人間の精神が崩壊するのはどの時点かを、科学的に確立することだった。
 中心人物のジョン・ローリングス・リース少佐は、イギリス陸軍の兵士8万人を使った洗脳実験を行った。
 この5ヵ年計画の後、リースは、本人が全く望みもしない「処置」を大衆を相手に行って、参加者に全くそれと気づかせないでいることができる、と確信した。
 「被験者」のなんと99%が精神に手をつけられたことに、つまり洗脳されたことに誰も気付いていなかった(!)という。
 リースの発見は、病気の人間を治療するのに使うのと同じ心理療法のテクニックを、健康な大衆に適用して、病気にしてしまうことが可能だというものだ。
 そこから「タヴィストック流洗脳テクニック」を開発し、後にはターゲットとした国に対して、変化を起こすのに利用した。
 このテクニックを完成させるのに、ストレステストないし心理ショック(ストレス事象)が使われた。
 リースの理論は、集団全体がストレステストに曝されれば、任意のストレス事象に対して大衆がどう反応するかを前もって割り出すことが可能である、というものだ。逆に、目的の行動をとらせるためには、効果的なストレスを特定すればいい。
 このテクニックは「プロファイリング」といわれるもので、個人、大小のグループ、大衆ほか、あらゆる規模の組織に適用する事が出来るという。
 リースは精神科医を家庭、職場、学校など、社会全体に密接に関わらせようと考えた。
 そして、自らこの見えない軍隊の「突撃部隊」と呼ぶものを組織し訓練した。
 そして第2次世界大戦以降、アメリカ社会の隅々に「見えない突撃部隊」を送り込んでいる。
 彼らの任務は、集団としての社会行動に浸透し、知られることなくこれに手を加え、修正していくことである。
 彼らは人々のための「アドバイザー」を装い、経済、軍事、政治、教育などの各管理部門に入り込んでいる。
 また、タヴィストックのナンバー2、クルト・レヴィン博士はリースと協力して(ちなみに、二人とも300人委員会)様々な合衆国機関を作り上げた。  ハーヴァード心理クリニック、マサチューセッツ工科大学(MIT)、全米倫理委員会、ランド・コーポレーション、全米精神衛生協会、ナショナル・トレーニング・ラボラトリーズ、スタンフォード研究所、ウォートン経済学校等である。
 レヴィンは人物を選び、こういった超一流の研究機関の要職に就けた。
 こういった機関や団体が大衆を対象(ターゲット)にしたマインドコントロールを行って、彼らの望む方向へ大衆を操作している。
 リースは1954年にこう述べている。 「彼ら(見えない突撃部隊)の仕事は、心理戦争として知られる高度なテクニックを全ての集団に適用することだ。
 それらの集団がさらに大きくなれば、全人口も容易にコントロールすることが出来る。
 完全に狂気に走った世界では,政治及び政治分野に影響力を持つタヴィストックの心理学者集団が、互いに連携しながら調停役=影の権力組織となるに違いない」
 リースとレヴィンはイギリスとアメリカの法律を研究し、人を同意も通知もなしに「条件づけ」することが合法だと結論した。
 次回以降、タヴィストックが行った様々な「操作」を取り上げていくつもりである。 それはきっと、初めて知る人にとっては驚きの連続となるのは間違いない・・・

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